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Philip の ちょっといい話

ツィンツェンドルフの見た絵

 ドイツのデュッセルドルフの絵画舘で、ひとりの青年がある絵の前にじっと立ちどまっていました。一時間たっても、二時間たっても、彼はそこから動こうとはしませんでした。その両眼からは涙があふれていました。彼が見ていた絵は、いばらの冠をかぶせられたキリストを描いたもので、この絵の下にはラテン語で「わたしはあなたのために、このことをした。あなたはわたしのために何をしたか。」と書かれていました。絵を見ているうちに、そのことばが心に迫り、彼は、守衛が閉館の時間を告げるまで、時のたつのに気がつかないほどでした。

 この青年は、ザクセンの貴族、ニコラス・ツィンツェンドルフ伯爵でした。彼は、その時、予定していたパリ行きを中止したばかりか、華やかな社交界やぜいたくな生活に別れを告げ、残る生涯をキリストにささげたのでした。ツィンツェンドルフ伯爵は、その後、1727年にモラビア兄弟団を再建し、1737年にその監督となりました。モラビア兄弟団は、今日のチェコスロバキアの一部であるモラビアにあったプロテスタントの共同体で、三十年戦争のために存続の危機にありましたが、ツィンツェンドルフが自分の領土のヘンフルートに彼らを保護してから、ふたたび活発になり、モラビア兄弟団は、アメリカ、西インド、グリーンランドにまで宣教師を送りました。ジョン・ウェスレーが回心ときよめの体験をしたのも、モラビア兄弟団からの影響でした。

 ツィンツェンドルフ伯爵は、このように世界中の多くの人々に大きな影響を与えましたが、彼を変え、動かしたのは、キリストの十字架からの語りかけでした。新聖歌102は、「主は命を 与えませり 主は血潮を 流しませり その死によりてぞ われは生きぬ われ何をなして 主に報いし」と歌っています。聖書は「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」(ローマ人への手紙十四章八節)と言っています。私たちも、キリストのことばにこたえ、キリストのために生きるものとなりましょう。

 * この絵は http://www.zinzendorf.com/feti.htm でごらんになれます。

(2004年4月)

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