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Philip の ちょっといい話

ヴィジョンに生きる

 ネイティブ・アメリカンの間に、こんな話が伝えられています。

 ある部族の首長が病気で倒れました。彼は、世を去る日が近いことを予感したこの首長は、自分のあとつぎを決めるため、部族の中から三人の若者を呼びだしました。そして、こう言いました。「おまえたちの体力と、忍耐力を試したい。今から、村のかなたにそびえているあの峰に登ってきてもらいたい。登ったしるしに何か証拠になるものをひとつだけ持って帰ってくるのじゃ。」三人の若者はいっせいに走りだしました。峰の中腹まではお互いに抜きつ追われつ走っていきましたが、道が険しくなるにつれて、それぞれ別々の道をたどって、山頂を目指しました。それぞれ、あらんかぎりの力をふりしぼり、あせみどろになって登っていきました。

 やがて夕方になって、一番最初に帰ってきた若者の手には、その峰の山頂に咲いていたきれいな花がありました。その若者は一枚の葉も、花も傷つけずに、それを持ち帰ったのです。首長は、この若者のやさしさにとても感動しました。次に帰ってきた若者の手には山頂の岩に生えていた苔がありました。その若者は「私は、あの花の咲く所を通り抜け、危険をおかして、頂上の岩の上にまで登ってこれを取ってきたのです。」と言いました。首長は、この若者の勇気にとても感動しました。

 そのうち、最後の若者が帰ってきましたが、その手には何も持っていなかったのです。首長は、そのことに怒って、「なぜおまえは何も持ってこなかったのか。」と言いました。ところがこの若者はこう言ったのです。「私は頂上の岩の上にまでいきました。そしてそこからながめてみますと、あの峰のむこうに広々とした草原がありました。そこには川も流れており、そこは牧場に適した土地でした。それを見ていると、あそこが、私たちのの部族が住むのにもってこいの土地だと思ったのです。首長、私たちはあそこに進んでいこうではありませんか。」眼を輝かせて訴える若者の真剣な姿を見て、首長は、立派なあとつぎが出来たことに安堵しました。

 この物語は、指導者には、やさしさや勇気とともに、将来を希望をもって見ることのできる「ヴィジョン」(幻)が必要であることを教えています。リーダーばかりでなく、私たちひとりびとりにもヴィジョンが必要です。聖書は「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」(ヨエル書二章二八節)と言っています。神を信じる者には、人生を導く確かなヴィジョンが与えられるのです。

(2004年1月)

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