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Philip の ちょっといい話

「ありがとう」を忘れなかった人

 私たちは、こどもたちが間違えて人にぶつかったり、物を壊した時には「ごめんなさい」、物をもらったり、親切にしてもらったときには、「ありがとう」と言うように教えます。「ごめんなさい」と「ありがとう」は、人間にとって一番大切なことばで、どのおとなも、こどもたちが、このふたつのことばを心から言うことのできる人間になって欲しいと願っています。ところが、おとなたちは、こどもには「ありがとう」と言うように教えながら、実は、自分たちが、神に対する感謝を忘れることが多いのです。ルカの福音書十七章十一から十九節に書かれている物語は、そんな私たちに、感謝の心を教えてくれます。その物語というのは、こうです。

 イエス・キリストがユダヤの国で伝道しておられた時、ユダヤの国には「らい病」と呼ばれていた病気がありました。この病気になった人たちは、人々に近づくことを許されず、他の人から物をもらう時も、長い「ひしゃく」を差し出して、そこに食べ物を入れてもらっていました。彼らは、町の中に入っていくこともできず、家族にも会えず、神殿で神を礼拝することもできませんでした。サマリヤの町の近くに、この病気の人たちが十人、いっしょに暮らしていましたが、そのうちのひとりはサマリヤ人でした。当時、ユダヤ人とサマリヤ人がそれぞれ反発しあっており、とくにユダヤ人はサマリヤ人を軽蔑していましたので、ふつうなら、ユダヤ人はサマリヤ人を仲間に入れることはなかったのですが、この十人は、「同病相あわれむ」という気持で、いっしょに生活していました。

 ある日、イエスと弟子たちが彼らのいた村の道を通りかかりました。それを見た十人は、イエスに向かって声を張りあげて、「イエスさま。先生。どうぞあわれんでください。」と叫びました。イエスは、彼らの願いどおり、たちどころに彼らの病気をいやされました。「病気がなおったぞ。これで、家族に会うことができる。町にもどることができる。これからは働くことができる。もう、物乞いをしなくても済む。」と、彼らは喜びながら自分の町に、自分の家に帰って行きました。

 ところが、その中のサマリヤ人だけは、イエスのもとに引き返してきて、その足もとにひれ伏して感謝しました。おそらく、この人は、「神さまありがとう。イエスさまありがとう。」と喜びの涙、感謝の涙で、イエスの足を濡らしたことでしょう。イエスは、感謝を忘れなかったこの人をほめるとともに、「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」(ルカの福音書十七章十七〜十八節)と言って、ユダヤの人々の不信仰を悲しみました。私たちは、恵みだけ、祝福だけを受けて神のもとから去って行く者たちでしょうか。それとも、その恵みと祝福に感謝するためにイエスの足もとにひれ伏す者でしょうか。もし、神への感謝を忘れていたなら、感謝祭のこの月に、もう一度、神への感謝を取り戻しましょう。

(2003年11月)

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