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Philip の ちょっといい話

エステルの献身

 ペルシャが世界を治めていたころ、ペルシャの首都にエステルというユダヤの娘がいました。エステルの両親は、エステルがまだこどものころ亡くなりましたので、彼女は、おじのモルデカイの養女となりました。それは、美しい娘で、ペルシャ王の王妃に選ばれました。おじのモルデカイは、王宮の警備をしていましが、モルデカイとエステルとの関係は、ペルシャ王をはじめ、王宮の人々には知らされていませんでしたから、ペルシャ王の次の位にあったハマンは、王妃エステルがモルデカイの養女とは知らず、モルデカイを憎み、モルデカイを亡き者にしようとしました。ハマンは、モルデカイを亡き者にするだけでは飽き足らず、ペルシャにいるユダヤ人を皆殺しにしようとするという悪巧みを立て、王から権限を托されて、ユダヤ人虐殺の勅令を発布するに至ったのです。

 それを知ったモルデカイは王宮にいるエステルに、王のもとへ行って民のためにあわれみを請うよう伝言を送りました。その時、エステルは、「王宮には、召されないのに内庭にはいって王のもとへ行く者は、必ず殺されなければならないという法律があります。王妃と言えども、簡単には王のもとに行けないのです。」と、モルデカイに返答しました。この返答に対してモルデカイは「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知ろうか。」と叱責しました。そこで、エステルは「法律にそむくことであっても、私は王のもとへ行きます。私がもし死なねばならないのなら、死にます。」という決意をもって、王のもとに嘆願に向かったのでした。

 エステルの「死なねばならないのなら、死にます。」ということばは、主イエスの「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(ルカの福音書9章23節)ということばや、使徒パウロ の「わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。」(ピリピ人への手紙1章21節)ということばを思いおこさせます。自分に死に、キリストに生きる、それは人間にとって最高の生きかたですが、エステルはそれを体得していたのです。エステルという名には「星」という意味があります。エステルは、その美貌によって、すでに「スター」でしたが、人々の救いのために自分の命をささげた時、その信仰によって、よりいっそう輝いたのです。「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ人への手紙2章15節)とあるように、私たちも、このような内面の輝きを持つ者となりましょう。

(2004年8月)

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