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Philip の ちょっといい話

モロカイ島のダミアン神父

 ホノルル、カラカウア通りのセント・オーガスティン教会の一角にダミアン博物館があります。これは、ハワイのハンセン氏病患者のために命をささげたダミアン神父を記念して建てられたものです。

 ダミアンは1840年、ベルギーの小さな村で七人兄弟の末っ子として生まれました。修道院に入っていた兄や姉の影響を受け、ダミアンも19歳の時、修道院に入り司祭への道を歩みはじめました。1863年、同じ修道会にいた兄がハワイへ宣教師として派遣されることになっていたのですが、チフスにかかり急遽派遣が中止となりました。それで、病気の兄の代わりにダミアンがハワイに派遣されることになったのです。

 当時、ハワイでは、ハンセン氏病の患者は見つかるとすぐモロカイ島のカラウパパ半島に隔離され、そこで誰からも世話されずに亡くなっていくのでした。ダミアンはそのことに心を痛め、モロカイ島に、単身で向かいました。ハンセン病患者以外で、そこに住むために、モロカイ島に向かったのはダミアンが初めてでした。ダミアンは一度決めたことは絶対譲らない性格だったため、教会関係者や一緒に働く人たちともめることも少なくなかったようです。しかし、ダミアンの患者たちへの一途な愛が徐々に理解され、ハンセン氏病患者の環境は改善されていきました。しかし、患者の中にはまだ、ダミアンに対して警戒する者もありました。

 「どうしたら、ほんとうに患者と同じ立場に立ち、その気持ちを分かってあげられるだろうか。」と悩んでいた頃、ダミアンは、ふとしたことから自分もハンセン病にかかっていることを知りました。それは、ダミアンにとって大きなショックでしたが、同時に、彼は「これで、私も、ほんとうに患者と同じ立場、同じ気持ちになれる。」と喜んだと言われています。当時、ハンセン氏病を治療する手だてはありませんでしたので、病気はどんどん進行し、ダミアンは病気を知ってから5年もたたない1889年、49歳で世を去りました。

 私はダミアンのことを思うたびに、「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ人への手紙2:6-7)との聖書のことばを思い起こします。ダミアンがハンセン氏病患者を愛して、自らもハンセン氏病患者になったことを喜んだように、イエス・キリストは、私たちを愛して、私たちと同じ姿となって、罪の世に来てくださいました。そして、私たちの罪も、病も、悲しみもすべてを背負ってくださったのです。クリスマスには、生ける神であるキリストが私たちと同じ人間になることを喜んでくださったということがいっそう心に浸みてきます。あなたはいかがでしょうか。

(2004年12月)

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