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Philip の ちょっといい話

三種類の愛

 愛には三種類あると言われます。「もしも」の愛、「だから」の愛、そして「にもかかわらず」の愛です。

 「もしも」の愛とは、「もし、あなたがこんな人だったら」「もし、あなたが私にこんなことをしてくれたら」と、相手に条件をつける愛です。相手から何かを得て、それと交換に相手を愛する愛です。このような愛は、長くは続きません。結婚が破綻するのは、多くの場合、相手に自分を満足させてくれることだけを求めているからです。親もまた子どもに「もし、良い子だったら」と、愛に条件をつけることがありますが、そのような条件が子どもをだめにしてしまうことも多いのです。

 「だから」の愛とは、「あなたは私に良くしてくれるから」「あなたは優秀で、お金持ちだから」と、相手の何かを根拠にして愛する愛です。これは「もしも」の愛よりも良いように見えますが、移り変わりやすい愛です。相手に魅力が無くなれば、お金に無くなれば、その愛も消えていくのです。もっと親切な人、もっと魅力的な人が現れれば、以前の人を捨てて次の人への移っていくことでしょう。「だから」の愛では、愛され続けるために限りない努力が必要となり、決して平安を持つことができないのです。

 では、もっと確かな愛はあるのでしょうか。それは、「にもかかわらず」の愛です。これは「もしも」の愛と違って「おかえし」を求めない愛、「だから」の愛と違って人を資質や能力で量らない愛です。私たちの過去にどんな失敗があっても、現在にどんな問題があっても、私たちをあるがままで受け入れてくれる愛、それこそが「愛」と呼ぶにふさわしいもの、また、私たちが心の奥底で求めているものです。この世界にこのような愛を見つけるのはたやすくはありませんが、イエス・キリストは私たちにこの愛、神の愛を示してくださいました。キリストは、「取税人、遊女、罪人」と呼ばれていた人々の友となり、自分を十字架につけた人々のためにさえ「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです。」と祈りました。そして、私たちが、神の愛に生きることができるために、十字架で命をささげたのです。聖書はこう教えています。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙五章八節)私たちも、神の無条件の愛を、条件をつけず素直に受け入れましょう。

(2003年2月)

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